Real Estate Investment Trust
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DAオフィス投資法人は、2005年10月に上場された、投資対象資産を東京都に所在する中規模オフィスビルに特化するはずだったのに、いつしか新宿マインズタワーという超高層オフィスビルまで取得してしまった投資法人です。

資産運用会社である株式会社ダヴィンチ・セレクトに100%出資していた株式会社ダヴィンチ・アドバイザーズがスポンサーです。

大和証券オフィス投資法人の頭文字のDAというわけではなく、ダヴィンチのDAです。

不動産ファンドブームの象徴

1990年代後半には、不動産の資産運用事業を手がける新興アセットマネジメント会社が次々と現れています。

1995年には、いまは亡き日本レジデンシャル投資法人と日本コマーシャル投資法人を上場させたパシフィックマネジメントや、1996年には、いちごホテルリート投資法人(3463)らの記事のところでも出てきましたクリード・オフィス投資法人のクリードが創業されています。

また、リーマンショックに飲まれて、いちご株式会社(2337)の半分前身となったアセット・マネジャーズ株式会社も2000年の創業でした。

このクリードとアセット・マネジャーズは、くしくもいちご系投資法人にかかわることになっていますので、詳しくは以下の記事です。

【REIT今昔物語】リーマンとともに現れたいちご系投資法人(8975,3463,9282)達は、何処へ行く。

日本の不良債権を拾うハゲタカ

当時、米国の資産運用会社が日本法人を設立するいわゆる外資系アセットマネジメントも増えていました。パシフィックマネジメントやクリードだけではありませんが、これらも含め、新興の会社は、米国などの外資系金融機関から海外のお金を引っ張ってくることで、不動産を大きく買うといったことを進めていました。

日本が不良債権処理で苦しんでいる最中でありましたので、イメージ的には、不動産ハゲタカのようなところもあったでしょう。日本産の新興アセット会社も、外資系金融機関などから資金を調達して大きくドカンとやる手法が当たったわけです。

その象徴と言われていたのが、金子修氏率いるダヴィンチホールディングスです。

ダヴィンチホールディングスの軌跡

ダヴィンチホールディングスは、1998年にダヴィンチ・アドバイザーズ・ジャパン株式会社として創業され、2000年に、株式会社ダヴィンチ・アドバイザーズと商号変更し、2001年には、ナスダック・ジャパン市場(現・ジャスダック)に上場しています。

金子修氏は、米国での就業やハワイでの創業、長谷工コーポレーションの米国現地法人の社員を経て独立しています。高レバレッジの私募ファンドを駆使した米国流の手法で、米国のロックフェラー財団やハワード・ヒューズ財団などの著名な海外投資家からも資金を得るなどし、通称「1兆円ファンド」を立ち上げたことでも名をはせていました。

記憶に残るのは、東京駅前のパシフィックセンチュリープレイスや「軍艦ビル」芝パークビルなどで、当時1000億円を超える大型物件をガツガツ取得していたことで有名です。

また、2007年には、大谷卓男・テーオーシー社長が取締役を務めるオオタニファンドTO(東京都品川区)が経営陣による自社買収(MBO)を実施しているところに横やりを入れて、TOBを仕掛けるということも大変話題となりました。

金子修社長は不動産業界に新風を吹き込む時代寵児・救世主か、第二の村上ファンドか? なんてことも今では時代を感じさせますね。

明電舎も標的 ダヴィンチの知られざる豪腕(東洋経済)
https://toyokeizai.net/articles/-/254

不動産ファンド冬の時代

ですが、2008年に入り、まさにときは不動産ファンド冬の時代となっていました。同年3月には、新興の不動産ファンド会社レイコフが420億円の負債を抱えて民事再生手続きを申請しています。

また、6月スルガコーポレーション、7月ゼファー、8月アーバンコーポレーションといったマンションデベロッパー会社が続き、9月には、リプラス、翌年の1月には、クリードが破綻しています。

不謹慎ですが、ここまで懐かしいネームが続くと、あの未曽有の経済危機を思い出して、アドレナリンが出ませんか?

しかし、破綻の連鎖は、これでも止まりません。3月には、2つの投資法人を上場させてきたパシフィックホールディングスが負債総額1636億4600万円で経営破綻という不動産ファンドとしては、決定的とも思えた破綻劇となったのです。

パシフィックホールディングスが会社更生法申請、負債総額1636億円(日経不動産)
https://tech.nikkeibp.co.jp/kn/article/nfm/news/20090310/531048/

もちろん、このような流れに、ダヴィンチホールディングスも無縁でいられるはずがありません。2009年9月には、旗艦ビルだったパシフィックセンチュリープレイス丸の内を担保としたノンリコースローンがデフォルトし、12月期連結決算で110億円の債務超過に転落したのです。

ダヴィンチ保有のPCP丸の内、ローンがデフォルトの見込みhttps://tech.nikkeibp.co.jp/kn/article/nfm/news/20090911/535286/

ダヴィンチよ、お前も、、ですよね

2006年当時、2000億円で購入したというパシフィックセンチュリープレイスですが、資金繰りに苦しむ、ダヴィンチは、とうとうセキュアードキャピタルジャパンに1400億円にて譲り渡す羽目なりました。

もともと、このパシフィックセンチュリープレイスの取得価格は約2000億円、取引利回りは3%台!と推定され、まれにみる高値取引だったと言われています。

新生銀行による1120億円のシニアローン融資と外資系銀行などによる約600億円のメザニンローンによる総額約1700億円を借入、LTV(借入比率)推定86%と超ハイレバなものでした。

まったく規模が違うといえども、サラリーマンのフルローン投資を連想させますが、いかんせん利回りが低すぎます。当時のダヴィンチでは、利回り2~3%台で買ってもイケイケだったそうです。

ダヴィンチの破綻はいつ?

そのころには、すでに信用調査機関などでは「ダヴィンチの破綻は不可避」と囁かれていたそうですが、金融当局やメガバンクなどが不動産市場のパニックを恐れ、「しばらくは、生かさず殺さずの塩漬けにする可能性はある」(業界関係者)という筋情報が出回ったほどでした。

それもそのはず、不動産ファンドブームの象徴として、金子修氏という名物社長率いるダヴィンチホールディングスが破綻となれば、「東京の不動産マーケット崩壊の象徴として世界で報じられ、Jリートをはじめとする日本の不動産市場の底割れを招くのでは」と懸念されていたのですね。

大袈裟かもしれませんが、関係者は、リーマンショックならぬ、ダヴィンチショックによる東京不動産市場の沈没というストーリーを恐れていたのでしょう。


 

DAオフィス投資法人のスポンサー交替

DAオフィス投資法人の資産運用会社であるダヴィンチセレクトの全株式を大和証券グループ本社が取得することが発表されたのは、そのような最中の2009年6月でした。名称もダヴィンチセレクトから大和リアル・エステート・アセット・マネジメント株式会社へと変更となっています。

また、同時に、DAオフィス投資法人の第三者増資(13.11%)を引き受けつつ、翌年2010年の8月には、大和PIパートナーズ株式会社が筆頭投資口主であるコロンブス(ダヴィンチの子会社)から、さらに15.16%の株式の譲渡を受け、大和グループとしては、筆頭になります。

そして、同年9月からは、大和証券オフィス投資法人と名を変え、物件の名称もダヴィンチ〇〇というビル名称からDaiwa〇〇というように、ブランドイメージを一新する取り組みを行っています。

当時の投資家としては、本当にほっとする展開になったわけです。

長くなりましたので、その2に続きます。

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